2021-07-14 第204回国会 衆議院 内閣委員会 第33号
○足立委員 銀行局は事前にチェックをして、これは問題ない、関係ないと御判断をされた。あと残るは、まあ公取の議論もありますが、むしろ内閣法制局ですね。木村第一部長、今日お越しをいただいています。相談はありましたか。
○足立委員 銀行局は事前にチェックをして、これは問題ない、関係ないと御判断をされた。あと残るは、まあ公取の議論もありますが、むしろ内閣法制局ですね。木村第一部長、今日お越しをいただいています。相談はありましたか。
○国務大臣(麻生太郎君) これは、たしか橋本行革というほど、たしか橋本内閣のときにこの話が始まったんだと思いますけれども、当時は銀行局やら何やら全部、証券局等々大蔵省の中にあったのを、財金分離だとか訳の分からぬことを、余りよく意味が分かっておられるかどうか知りませんけど、その当時分けられた。私、反対したので、そういう記憶あるんですけれども。
あのころは、金融機関は極めて問題があったということで、金融機関が問題なんだということで、それを取り締まるためにきちんとやらないかぬというので、金融庁の中で、いろいろ所管している中で銀行局所管のいろいろな問題をきちんとやらないかぬぞというのでやらせていただいたあの当時のいきさつは、間違いなく金融処分庁的イメージでスタートしたんですよ。間違いなくそういう時代でしたから。
○勝部賢志君 かつて大蔵省銀行局は、バブル崩壊当初、一九九二年当時においても公的資金の投入には慎重であったというふうに思います。私は北海道の出身でありますので、バブル崩壊後、北海道拓殖銀行が破綻をしました。地域経済に非常に大きな影響を与えましたし、銀行が倒産して職を失った方もたくさんいらっしゃいました。
○渡辺喜美君 とにかく、大蔵省接待汚職のときには銀行局、証券局が分離をされ、当時の大蔵省が解体をされたわけであります。今回もいずれそういう場面が出てこざるを得ないということだけは再三にわたって申し上げているとおりであります。
三塚大蔵大臣辞任、松下日銀総裁辞任、銀行局長、証券局長、主計局次長、銀行局審議官その他大勢のきら星のごとき官僚たちが辞職をいたしました。そして、大蔵省は解体をされたんです。金融部門は分離をされた、財金分離。それで今の金融庁になったわけですよ。 今回の事件は、悪いけれども、あの接待汚職の比じゃないですよ。接待汚職がマグニチュード七ぐらいだとすれば、今回はマグニチュード九は優に超えます。
それから、当時の銀行局や証券局もさまざまなことを推進されました。これも、ある意味で、もっと早くやっておけばというような御意見もあるかもしれませんが、決して悪いことではなかったというふうに思っております。
そのときに、農協についてはどうするかということが、これは当時まだ金融庁はできておりませんでしたので、農林水産省と、それから当時は大蔵省銀行局ということになりますが、ここでも相当意見交換が行われました。
○国務大臣(林芳正君) 大変大事な御指摘だと思っておりますが、金融庁のことを答える立場にございませんが、大蔵省銀行局の時代の話が午前中ありましたけれども、実はその長い歴史の中で採算性、事業性を見てきちっとお金を貸していこう、いわゆるバンカーの役割を果たしてもらおうというのは、最近という御指摘がありましたが、昔からあったところでございますが、実は不良債権問題が出てきまして、その後、かなり軸足が健全化の
このときに、では、農協についてはどうするのかということが相当議論になりまして、当時農林省と、それから当時金融庁はまだできておりませんでしたので大蔵省銀行局ですけれども、そこと相当な調整があった結果として、最後の決着は、全中監査を義務づけることによって外部監査にするということになりました。
日本に対しても、例えば一万ドル以上の送金については全部モニタリングしろとか、そういうことを言われて、当時、大蔵省の銀行局の人なんかと一緒に行ったんですが、とてもこれは日本の銀行家がのめる案ではないといって反対をしたりとか、そんなことをして、のらりくらり対応していたような記憶がございます。
去年の十月で千百六十三兆だから今千二百あると思いますが、それでマネタリーベースが二百二十ですから、やっぱり七行ってないというか六行ってないというか、金融再生の頃、私が銀行局にいた頃より低いんですよね。
また、当時、言われるように、財務省批判とか金融行政に関する批判等々が甚だ激しいころでもありましたので、そういった意味では、何となく、金融を監督する当時は銀行局だったかな、何となくちょっと引けた部分、引いて構えた部分もあったんだと思っておりますけれども、いずれにしても、これは当時の情勢で何となく、管理すると、すぐ金融に対する行政の介入というのは、何でもかんでもそういうのを言うのが好きな政党もいましたし
私は保険業法に非常に思い入れがありまして、私ごとになりますけれども、少し古い話ですが、二十年余り前に、当時、まだ金融庁が発足していない、大蔵省に銀行局があった時代ですが、その銀行局の保険部保険第一課の総括課長補佐を務めたことがあります。
その原因を考えたときに、銀行局の特別金融課長さんですかね、一年交代で主流派の大蔵省の官僚がポストに座って、出世をしていく通り道にする。そして最後に、天下るときに、金融経験があるということで金融機関に天下っていく。こういう仕組みになっていたわけでございまして、そのために、自分が一年間務めている間はぼろを出さないように、先送り先送りしていくということがあの原因になったと、私は渦中にいて考えました。
四項目の柱がこの二ページ以降書かれているわけですけれども、特に真ん中から上のところ、なおこの答申についてはというところが注目すべきところで、大蔵省主計局長あるいは大蔵省の銀行局長は、この国家補償について、主計局は国家補償について、銀行局はいわゆる責任保険契約について、それぞれ態度を保留したということで、すなわち政府の担当者としては賛成できないということが表明をされたということがここにちょっと書かれているわけでございます
それを民主党さんは野党のときに、事前規制でそういうことは駄目だと、癒着する可能性のある、離職前に権限持って振るっていた人がその関連の銀行、銀行局長やっていた人が金融機関の方に行くというようなことは事前に規制せぬとまずいでしょうと。だから、事前規制が大事だということを我が党は言って修正案を出しているわけです。それを何か事後的にチェックしたらいいんだというお考えなんですよ。私はそれはおかしいと。
「大蔵省銀行局幹部として在任したほか、主計局次長、官房総務審議官、官房長を歴任するなど、まさに財務省そのものの人物であり、日本銀行の独立性が担保できない懸念があること。」今回、日本郵政社長人事におきましては、齋藤次郎元大蔵次官、まさにこれは、国民の皆さんから見ても大蔵省そのものの方ではないですか。 官房長官、よろしくお願いします。
固有名詞を出して恐縮ですが、いい話なので出してもいいと思うんですが、例えばBISでも、今は金融庁に戻られた氷見野さんが、銀行局、銀行監督局の事務局長で、銀行監督委員会ですか、の事務局長でいらっしゃったころは大変影響力、日本の影響力が強かったというふうに私も感じておりまして、残念ながら国内に戻っていらっしゃって、こういう方はやっぱり長く国際機関にいていただいて日本の意見が通るようにしていただきたいなと
あの当時もそういった議論がございまして、実は私はあの当時の議論をしたときの銀行局側の担当官でございますが、結果的に、よその国でやったらそうはならなかっただろうというぐらい貸し倒れ比率が低かったんですね。